五島列島の小島と教会[4] (2022.5.11)

(β版) 

☆期日/天気/山行形式: 2022年5月11日/曇/3泊4日島巡りの4日目
☆地形図(20万分1): 長崎、福江、富江
☆まえがき
    旅を終える4日目はバスで中通島を南下して若松大橋を渡り、若松島南端近くにある若松港で小形の高速船に乗り継いで海路の旅となりました。

 若松島南端部の海食崖にあるキリシタン洞窟を海上から遥拝したあと、奈留島北部大串港の入口にある江上漁港で上陸し、新緑の森の中にひっそり佇んでいる江上天主堂を拝観しました。

 次いで南隣の久賀(ヒサカ)島に向かい、五輪漁港の水際にある旧五輪教会堂を拝観して今回の教会f堂めぐりを終了。

 さらに南下して、旅の初日を過ごした福江島に戻り、五島氏福江城内の隠殿屋敷と心字池の庭園、五島氏菩提の寺明星院を拝観しました。
 旅の終わりに、町外れにある産直市場 "五島がうまい" で土産物を調達し、帰りの飛行機の待ち時間を活用して鬼岳展望台に上がって街と山と海の展望を楽しみました。
蹴りの空路は福江-福岡-羽田でしたが、福江-福岡間は往路と同じ双発プロペラ機で、五島の島々と福岡の町と、地上の景色を楽しみました。


福江島 鬼岳の展望  (画像をクリックすると拡大スクロール)

☆ルートの詳細

ルート詳細図
    (縮小画像をクリックすると元図が表示されます)



★このルートマップは Windows アプリの "カシミール3D" に国土地理院新版淡色レベル16 を読み込んで作成しました。
GPS軌跡の記録とマーカー座標の補正は Android アプリ "山旅ロガー"と"地図ロイド" を使用。 トラックポイントの偽ジャンプ除去等による修正や不要部分のトリミングなどには Windows PC 上で動作する山岳景観アプリ: "カシミール 3D" を使用しました。

ルートの詳細を伝達できる解像度を確保するため元図サイズが巨大になることがあります。
ダウンロードしたら適宜縮小するか、あるいは必要部分を切り出してご自分用の画像ファイルを作り、端末で表示したり印刷してハードコピー作ったりしてご利用ください。
縦横比は維持していますが縮尺は不定です。
国土地理院の 1/25000 地形図と照合するなどによって推定してください。




 行動GPS軌跡・地点マークのダウンロード

 ★上のルート図の GPS 軌跡と地点マーク情報で作成した Google MyMap から
    地図全体を kml 形式ファイルにダウンロードし、ZIP アーカイブにしたものです。
    要すればルート図の復元にご利用下さい。



<行動時間>

    宿舎[8:52]=(専用バス)=中ノ浦教会対岸(9:28)-若松大橋(9:39)-(9:45)若松港[9:57]=(海上タクシー)=若松島キリシタン洞窟沖(10:17)=[10:50]奈留島大串港江上漁港-江上天主堂(10:58/11:10)-(11:15)江上漁港[11:19]=(海上タクシー)=[11:37]久賀島五輪漁港-旧五輪教会堂(11;40/57)-(12:00)五輪漁港[12:05]=(海上タクシー)=[12:31]福江港島=(専用バス)=創作和料亭SAGARA(12:40/13:45)=(専用バス)=五島氏隠殿庭園(13:57/14:50)=(専用バス)=明星院(15:03/23)=(専用バス)=五島産直市場五島うまい鮮魚など(15:45/16:19)=(専用バス)=鬼岳展望台(16:44/17:04)=(専用バス)=[17:14]五島福江空港[18:20]=(ANA4916)=[19:00]福岡空港[19:50]=(ANA270)=[21:30]羽田空港/第2ターミナル[21:35]=(羽田空港線 二子玉川ライン)=[22:24]二子玉川[22:37]=(東急線)=[22:45]宮崎台


☆ルートの詳細


  ふた晩お世話になった宿をチェックアウトして中通島の逆さ十字架形の柱に沿って南下しました。
しばらく走って十字架交点を通り過ぎ、さらにひと走りすると中ノ浦教会の対岸の道路になりました。
入江の水面に影を写している教会堂の姿はなかなか綺麗で、この教会堂が「水鏡の教会」の別名を持っていることが良く分かりました。

  若松大橋をわたった先にある若松港で小形の高速船に乗り継ぎ、福江島へ向けて海路に乗り出しました。


 中通島との間の若松瀬戸を南下してゆく途中で右手へそれてカズラ島と若真島の間の水道に入り、若松島南端の白崎の端をまわる航路を進でゆくと白崎の岬の近くで白衣のマリヤ像のように見える洞窟の沖を通過しました。

   岬を回って島の西側に入るとすぐ、崖の袂に白いキリスト像が立っているのが見えました。
 幕末から明治初めにかけて起きた五島崩れのキリシタン迫害のモニュメントで、キリシタン洞窟と呼ばれています。

  奈留島の西岸に沿って北上し、島の西北端近くにある大串港入り口の脇の小さな入江の船着場で下船。

  人家一軒のほかは新緑の森ばかりという景色の中、水際の道を進むともとあった小学校運動場の広場の向こうの山裾の森木立の中に白い建物が見えてきました。

 長崎の教会群インフォメーションセたーのウエブサイトには、下のような解説があります。

 下五島の最も北に位置している奈留島は 五島藩の要請(1797)によって外海からの農民移住が始まり、この江上地区にも4家族の潜伏キリシタンが住み着いた。
 奈留島では、1873年に禁教の高札が撤去されたあとも、潜伏時代の信仰を維持する「かくれキリシタン」が多かったが、江上地区の4家族は1881年に全員がカトリックに復帰し、1906年頃に簡素な教会が建てられた。

(画像をクリックすると拡大)

 現在の江上教会が建設されたのは1918年。
当時 40~50戸のの信者が居たが、キビナゴ漁で建設資金を貯め、教会用地は自分達で山を切り崩して造成。
 鉄川与助の設計施工による建物は、内部はリブ・ヴォールト天井で、柱には木目模様を手描きし、ステンドグラスの代わりに透明ガラスに花を描くなど、信者の献身的な作業がしのばれる。
 小規模ながら日本の代表的な木造教会として、2008年に国の重要文化財に指定されたと。

  江上の森の中にひっそり佇んでいる小さな天主堂は、どこかこの世離れした雰囲気を漂わせていました。

写真の説明  (画像をクリックすると拡大)

  天主堂の拝観を終えて船着場に戻ろうと波打ち際の道を歩いてゆくと磯の大岩の上にウミウがいました。

 漁をする人達が去った江上の入江の魚はノンビリしていて捕まえやすいのかも知れません。

  船に戻って西隣りの久賀島との間の奈留瀬戸を南下し、久賀(ヒサカ)島の五輪漁港に着きました。

写真の説明  (画像をクリックすると拡大)

  埠頭に上がるとすぐ先の右手に瓦葺き木造の旧五輪教会、右手 100m ほどの所に現行の五輪教会が見えてました。

  1860年代末の五島崩れのあと、1873にキリスト教禁止の高札を取り除かれ、1880年になるとマルマン神父が下五島に常駐し、五島列島の各地に教会が建てられるようになりました。

 久賀島では、1881年に浜脇教会が建てられましたがその建物は 1931年に五輪教会として現在地に移築されました。

 半世紀が経って傷んだ五輪教会を取り壊し、跡地に新教会を造ることになったところ、解体寸前に貴重な文化財を守ろうと言う声が上がって、保存されたのだそうです。


写真の説明  (画像をクリックすると拡大)

  瓦葺木造の建物の中に入ってみると左の写真のようなリブ・ヴォールト天井があり、格調ある宗教空間になっていました。

写真の説明  (画像をクリックすると拡大)

  入り口ドアとその上のステンドグラスは素朴にして格調漂う作りです。

 この建物は初期の木造教会建築の代表例として、1999年に国の重要文化財に指定されました。

  隣りにある現行の五輪教会は小振りなコンクリート作りで、全面強化ガラスの入り口ドアをはじめとして、現代風の建築になっていました。

  この奈留島旧五輪教会まででこの旅の教会巡りが終わりました。


 また船に乗ってさらに南下し、30分たらずで福江に着きました。
港近の和食料亭で昼食を食べ、近くの商店画を散歩したあと五島藩福江城の跡を見学をしました。

 この城は文久3年(1863年)に建造された日本で最も新しい城の跡で、きれいな石垣と水堀が残っています。

  まず五島氏庭園心字が池と隠殿屋敷を見学しました。

 京都金閣寺の丸池を模した心字が池と隠殿とはつくられた時期が明確で建物と庭園が一体となって保存されていることが貴重で、国の名勝に指定されています。

心字が池と隠殿  (画像をクリックすると拡大)  。

(画像をクリックすると拡大)

  五島藩は僅か1万五千石の小藩だったそうですが幕末の混乱期に海に面した大きな城を建造できたのは、押し寄せる外国船への防備を強化する政策のためだったようです。

 ただ、それを機会に、城内に立派な庭園と隠殿まで作ることができたのは、五島の地理的位置を利用した公私両様の外国貿易を行い、利益を得ていたおかげ思いました。

  地元のガイドさんの詳しい説明を聞きながら見学した物の中に緊急時に場外に逃れる抜け道がありました。

  隠殿も京風の文化・工芸を取り入れた凝った造作の中にで左のような戸棚の奥に脱出口があったりして戦いの装置もしっかり組み込まれていました。

  福江城見学の次に訪ねたのは五島家菩提の寺 明月院でした。
住所がが来客中で応対できず、本堂でガイドさんの説明を受けただけで終わりましたが、こじんまり落ち着いた良い感じの寺でした。

  予定した見学が早く終わり、町外れにある地産品直売市場でゆっくり土産物漁りをしたあとまだ十分な時間的余裕があったので鬼岳の展望台に上がりました。

 鬼岳は福江の町外れ、飛行場の南にある標高 315m の火山で、展望台は頂上の北にある 238m の寄生火山の頂上です。

 まわりが草原で広大な視界が得られ、左手に南岸の富江湾から北側の福江湾。 その先には東北方へ向って連なる五島列島の島々を見渡すことができました。

(画像をクリックすると拡大)

  この山は昼間の展望所として知られているだけでなく夜のスターウオッチングのサイトとしても有名なようです。
展望台の裏側にはこじんまりした天文台ドームが見えました。

 この度を締めくくりは、展望台から広大な展望でした。

 小さな教会堂のある日本離れした景色、多島海の美しい海と山、などなど、視覚と知覚が飽和するほどの多くのものを見ました。
  "日本史" には出て来ない南の島の超複雑な歴史の一端に触れ、色々考えさせられることの多い旅でした。

<補足情報>

 行動GPS軌跡・地点マークのダウンロード

 ★上のルート図の GPS 軌跡と地点マーク情報で作成した Google MyMap から
    地図全体をダウンロードした kml 形式のファイルを ZIP 形式のアーカイブにしたものです。
    要すればルート図の復元にご利用下さい。


Googleフォトアルバム
 ★撮影地点の経緯度情報が付いた元画像のアルバムが見れます。


☆おわりに
  リアス式海岸の島々の入江に南の国の森に抱かれている集落の、鎮守の森の社の在り処と思われる所に決まってこじんまりした教会堂が鎮座している風景は、これまでに見たこの国の景色の中で最も日本離れしたものでした。

 五島では、度重なるキリシタンに対する弾圧があったと伝えられていますが、広大な海域に散在する多数の村々で豊臣時代から徳川を経て明治時代の初めまでの長年月にわたり、隠れキリシタンの信仰が途絶えることなく伝承されたのはなぜだったのでしょうか?
 静かに従順に暮らしている限り、なかったコトにして大目に見逃す、ユルイ統治が行われていたおかげかも、と思いました。

 五島の文化と景観を生み出したのは、イデオロギーによる過激な暴走を好まず、いくらかの反目はあっても、穏やかに馴れ合って暮らしてゆくことを好む私達の国民性かも知れません。

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